chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県八女市大字馬場『熊野速玉神社』

八女市大字馬場の熊野速玉神。八女上妻郡(かみつま、こうづま)の宗社だったそうです。創建もわりと古く白鳳元年。

「鈍土羅の樟」がある熊野神社から移動しました。こちらの神社にもクスノキ南馬場の大楠」(福岡県天然記念物)があります。



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南馬場の大楠 福岡県指定文化財 天然記念物 指定年月日 昭和38年1月16日 所在地 八女市大字馬場876番地1

樹高 35メートル 胸高周囲 10.4メートル 枝張 東西36メートル 南北43メートル

この大楠は、典型的な楠の孤立木型をしており樹型も整っている。
白鳳元年(672)熊野速玉神社建立と同時に、御神木として植えられたと伝えられる。神社はその後、久留米藩主有馬公の祈願所となり、広い境内では猿楽・流鏑馬(やぶさめ)などの催しが盛んであったといわれ、「馬場」の地名の由来ともいわれている。

令和3年12月 八女市教育委員会

作られたばかりの案内板。



御祭神


速玉男命(はやたまのお)は『古事記』には登場せず、『日本書紀』ではイザナギが黄泉の国でイザナミに追いかけられた際に吐き捨てた唾から生まれたとしている。
和歌山の熊野速玉大社では、速玉男命はイザナギのことを指しているようです。

御由緒

創建は白鳳元年(672)。上妻郡宗社と崇め神田12町あったが、秀吉の代に没収され、後に藩主有馬家の祈願所となった。
明治6年に郷社。
境内のクスノキは福岡県天然記念物。



秀吉は結構熱心に神社を潰していたのか、糸島の三雲南小路遺跡の横にある細石神社を潰したり、熊本の阿蘇神社も当時の阿蘇宮司切腹させたりしている。他にもたくさんあるんだろう。

信長含め、社寺の特権を潰して金融経済改革を進めようとしていたのかも。



場所

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北の花宗川と南の矢部川に挟まった所。花宗川(はなむね)は こちら熊野速玉神社のすぐ上流で矢部川から分かれ、筑後市・大木町そして大川市の風浪宮の横を流れて筑後川河口で合流する。

花宗川は、柳川藩初代で鎮西一の戦国無双立花宗茂が始めた全長23キロにもおよぶ半人工運河らしい。川の名前は彼から2文字とってつけられたものという。

宗茂関ヶ原で西軍に属した為、福島県の棚倉に飛ばされます。そして愛知県の岡崎城主などをしていた田中吉政柳川藩主になり、息子の忠政とともに宗茂の始めた花宗川の運河工事を引き継ぎ完成させた。



矢部川は、奥八女、大分県日田や熊本県阿蘇の近くを源流としてみやま市(旧・山門郡)で有明海に注ぐ。福岡県内で3番目に大きな川。筑後川遠賀川矢部川の順かな。
この一帯は筑後川矢部川に挟まれた地域。



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f:id:chayarokurokuro:20220110194038j:plain 天保七年と見える。1836年。幕末。



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神門の柱に鶴の木彫。鶴は住吉大神の神使。



f:id:chayarokurokuro:20220110194456j:plain 風浪宮の門にいたのと似ている

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胸に菊の家紋



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こちらも胸に菊。袴には花紋



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熊野速玉神社なのに八幡宮の三つ巴紋が入っている。



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屋根に逆立ちした狛犬のようなものが飾られてある



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三つ巴紋



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霊芝のようなものが生えている



f:id:chayarokurokuro:20220110195658j:plain 社殿を左回りに一周



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🍊みかんの神を祀る(嘘



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f:id:chayarokurokuro:20220110195950j:plain 社殿から神門方向



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敷地内に公民館



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神社入り口左手、猿田彦など



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社殿向かって左手(北)



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社殿向かって右手(南)



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こちらも立花みかん神🍊(嘘



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f:id:chayarokurokuro:20220110201206j:plain 神社の南、熊本山鹿・菊池方面



神社の南を矢部川が流れている。河川まで歩いていく。2、3分ほど。



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矢部川上流方向(東)。薄い緑色の橋が掛かっている。国道3号線(たぶん



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矢部川下流方面(西)。正面の山を越えればみやま市



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九州新幹線の船小屋駅やホークスのタマホーム球場などと共に、矢部川沿いもキレイな公園が整備された。



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「宮野公園」



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この場所から国道3号線を北に行くと、4キロで筑紫君磐井の岩戸山古墳、久留米市まで15キロ、福岡市まで54キロ。

南なら、32キロ行くと山鹿市菊池市まで45キロ。熊本市内までは60キロ。



西は柳川・大川まで15~20キロ。東は奥八女、九州山地

北西に行けば吉野ヶ里や神埼(かんざき)まで24キロ。與止日女神社などのある佐賀市大和町肥前国庁まで35キロ。



八女は邪馬台国説がある。『魏志倭人伝』には邪馬台国は7万戸とある。半径30キロぐらいの範囲なら筑後のほとんどを占めるかなり広い範囲。
明治期の八女郡も相当広いですが、1戸5人で計算して35万人。弥生時代に八女・南筑後で35万人って栄えすぎ…