chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県大川市の初代・阿曇磯良と風浪宮

福岡県大川市酒見の風浪宮(ふうろうぐう)へ行って来ました。地元ではおふろうさんと呼ばれ、親しまれております。

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なんと、こちらの神社は西暦192年の創建といわれ、初代宮司阿曇磯良(阿曇磯良丸 あづみ・いそらまる)から代々阿曇姓の方が継いでこられ、現在の宮司の阿曇史久氏は阿曇磯良丸から数えて67代目だそうです。

阿曇磯良(磯良丸)は綿津見三神を先祖とする阿曇族の総大将で、同じく阿曇族の拠点とされる博多湾志賀海神社では、神功皇后三韓征伐で朝鮮半島へ渡る際、阿曇磯良を召し出そうと七日七晩神楽を奉納し祈ってようやく雄雌の金の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が現れ、遠征にこぎつけられた。それほど大変偉いお方。有明海から海軍を呼び寄せたんでしょうか?
風浪宮は有明海側の阿曇族の拠点だったといいます。

境内には弥生時代貝塚があり、驚くことに、初代神主阿曇磯良丸のお墓だという支石墓が残っている。ビックリです。



創建の西暦192年というと、卑弥呼と同時代です。「倭国大乱」が中国漢帝国桓帝霊帝の間の146年~189年頃とされ、「どげんかせんといかん」と、卑弥呼が共立された丁度その頃にあたります。

朝鮮の歴史書三国史記』の新羅本紀には、「西暦193年倭人が飢えて食を求め、新羅に千人が渡った」という記述があるという。この記述と風浪宮の由緒は何か関連がありそう、次。



御由緒

本宮は神功皇后新羅御新征よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀りました。(旧暦十一月二十九日)

古来より風浪の灘を守護し給うにより風浪を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬厚く国司賢将始め筑後国一円の信仰をあつめ、俗に「おふろうさん」と呼び親しまれ勅命社として千八百余年の由緒をもつ著名の大社であります。

風浪宮とは | 風浪宮より



由緒に「神功皇后」や「武内大臣(武内宿禰)」が登場しています。私は、彼らがもし実在したなら4世紀、360年頃の人物ではないかと思います。従って風浪宮創建の西暦192年と神功皇后とは150年以上ズレているはずである。神功皇后卑弥呼と同一視しているんだろうか?
また神功皇后新羅征伐の伝説と、新羅本紀の193年の倭人渡航の記述の同時期についても、記紀を編纂した際の原記録に基づいて同一視した結果なのだろうか。

白鷺を「少童命の御化身」としてあとをつけ、鷺見(酒見)に止まったのでそこを聖地とし、阿曇磯良丸に少童命を祀らせた。
少童命」とは綿津見(ワタツミ)海神の事です。
「少」は少彦名を、「白鷺」はヤマトタケルを連想します。



御祭神

海人族の拠点ですので海神を祀ります。

三座一体です。綿津見三神



相殿御祭神

息長垂姫命(おきながたらしひめのみこと =神功皇后)・住吉大神(すみよしのおおかみ)・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)



場所

阿蘇山を源流とし、熊本・大分・福岡・佐賀の四県にまたがって有明海に注ぐ九州最大の川の河口に位置します。

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大川市柳川市、佐賀あたりは埋め立て地がたくさんありますので、2000~1800年前の弥生末期の海岸線がどの辺りにあったのか分かりませんが、境内に貝塚があることから風浪宮近くまで海だったとおもわれます。



東に行けば筑後市八女市古墳時代6世紀に北部九州を治めていた筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳や、その一族の八女古墳群があります。邪馬台国山門説の旧山門郡・現みやま市瀬高や、三種の神器を持つ神夏磯姫の末裔である田油津姫がいた所です。

筑後川を上れば九州総社の高良大社がある。風浪宮の北で筑後川と合流する田手川や城原川を遡れば神埼や吉野ヶ里へ行けます。地理的に良い具合に位置している。
初代・阿曇磯良の墓まである風浪宮の近くが邪馬台国説の有力な場所とされてきたという事は、過去の歴史家たちが気まぐれで述べたトンデモなどでは無いのだろうと思う。



撮ってきた画像を貼ります。

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風浪宮正面向かって左手(東)



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正面向かって右手(西)



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風浪宮の北側は風浪宮外苑・大川公園です。貝塚や安曇磯良丸の塚と言われている支石墓がある。

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大川公園は後に回し、先に神社へ。



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風浪宮の由緒。

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「風浪神社」



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由緒が彫ってある。



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風変わりな手水舎。

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神門の左右にいる守衛。赤い狛犬の体には、吉野ヶ里遺跡春日市の須玖岡本遺跡、愛知県の朝日遺跡などから出土している巴型銅器のような模様。スイジガイをモチーフにした魔除けのマークだとか言われているもの。

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暗くて読めないが、門に掛かっている「風浪宮」の文字。故・中曽根康弘元総理の筆らしい。海軍出身者だからか。もしや「ナガスネ彦」っぽい名字の中曽根氏のご先祖と縁があるんだろうか。



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拝殿正面。



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拝殿正面向かって右手にある、由緒にあった「白鷺の楠」。少童命(わたつみのみこと)の化身の白鷺が止まった木。樹齢2000年とも言われる。


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古代からの造船技術を受け継いでいるのか、大川市は家具の町です。地元の木工職人さんたち?の作品を展示してあった。



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拝殿正面向かって右手にあった神殿の説明


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永禄三年(西暦1560)、筑後十五城筆頭大名として筑後南部に12万石を領した蒲池鑑盛(あきもり 蒲池氏16代目・後蒲池氏7代目)により再建された。福岡県下では英彦山神宮宗像大社太宰府天満宮などと同様、旧国宝指定群の社寺建築。
松田聖子は蒲池鑑盛の末裔で柳川藩立花家の家老の末裔。神田沙也加氏のご冥福をお祈り致します。



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拝殿の賽銭箱の右側に立つ阿曇磯良丸の像。

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体にワカメやら貝の殻やら付いている。

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磯良丸は少童命(わたつみのみこと)を祖神とする海洋族の首長で神功皇后三韓御親征のおり、志賀島に召されて軍船を整え海上指揮を仕え奉りて無事大任を果たした航海熟達の海士であります。太平記にみる磯良丸は龍宮に住んでいたが神功皇后のお召しに従って大海亀に跨がって香椎が浜に出現し皇后の三韓御親征に干珠満珠を捧げて従軍し御助成をしたと述べられています。
この像は磯良丸が多年海底の宮に住んでいたので身体中海藻や魚介類がとりついていたという魁偉なる風貌を彫ったものであります。
因に阿曇史久 現宮司は直系の六十七代目を数えます。



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賽銭箱の上の天井。海神らしく方位に纏わる何か。

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賽銭箱の逆さミッキー、神紋の「州浜紋(すはまもん)」
太陽と月と星を表している。

熊野神社の奥院・玉置神社や宮司の玉置氏、熊野神社の鈴木氏も州浜紋らしい。

風浪宮は州浜紋だけではなく、屋根に「左三つ巴紋」と「五七桐紋」も付いている。

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見えにくいが、柱の先についた黒い所には五七桐紋が描かれている。



長くなった、一旦ここまで。

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