chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県久留米市『高良下宮社』

福岡県久留米市高良山(こうらさん)の麓にある高良下宮社(こうらげぐうしゃ)に行って来ました。

場所

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高良大社一の鳥居(石造大鳥居)の手前の右手に小さな鳥居があり、歩いて1分。境内に駐車スペースがありますが、狭い路地で分かりにくいです。



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社殿が横に3つ並んでいる。佐賀呼子の田島神社がこんな形をしていた。



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高良玉垂命神社」



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左「祇園社 スサノオ」、中央「高良玉垂命」、右「幸神社 孝元天皇(第8代 欠史八代の一人)」



f:id:chayarokurokuro:20220107201837j:plain 社殿向かって左のクスノキ。樹齢3、400年ぐらい?

御祭神と御由緒

地元では「祇園さん」と呼ばれて親しまれている。

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御祭神

  • 真ん中 : 高良玉垂命
  • 左 : 素盞嗚尊
  • 右 : 孝元天皇(大倭根子彦国牽天皇(紀)・大倭根子日子国玖琉命(記) ) 「孝」の漢字が「考」になっているが…)


境内にあった由緒書き(上の写真の右下)にはこうなっていますが、『福岡県神社誌』などによると元々の祭神はこれとは別のものになっていたという。

「福岡県神社誌中巻」高良下宮社 村社では 祭神 高良玉垂命 左 物部膽咋(いくい)連命物部 右 武内宿禰 境内社 素戔嗚神社(素戔嗚尊) 幸神社(大倭根子彦国牽天皇) 天満神社(菅原神社)

更に「高良山雑記」には物部胆咋の身体(木像)を鏡山神社から高良下宮に移したとあり 武内宿禰は脇神に移動 更に幸神の祭神は物部胆咋夫人とあります。



高良玉垂と武内宿禰は同一説がありますが、別人(神)として祀っていたようである。
記紀』での第8代・孝元天皇の先代は孝霊天皇という。高良山(こうらさん)は高牟礼山(たかむれ)とも呼ばれ、現在も地名で残っていますが、高良玉垂を高礼大明神と書くものがあり、「孝霊」の漢風諱号は「高牟礼」「高礼」や倭国大乱時の漢帝国の皇帝「霊帝」にちなんでいるのではとする説があるようです。



地元の呼び名が「祇園さん」ですが、元々スサノオを祀っていなかったなら「祇園さん」と呼ばれ始めるのは祭神が変わってから後のことかな。



御由緒

高良下宮社は上宮(高良大社)と同じく履中天皇元年(400)あるいは天武天皇の白鳳二年(664)の創建と言われています。
上宮を遥拝する位置にあり平安時代には国司のつかさどる各社で「高良宮下宮」と呼ばれていました。南北朝時代の天授三年(1377)征西将軍宮懐良親王が当社に願文を納められたことは有名です。
有馬家入國の際神領を寄進され府中町氏神となりましたが、今日でも「祇園さん」の名で親しまれています。大正三年「村社」に列しました。



高良山は元々は高木神を祀っていた。ある日、大善寺玉垂宮にいた高良玉垂命に一晩宿として貸したら結界を張られ、高良山を乗っ取られたという話がある。高良山の麓にある高樹神社の由緒などに書かれている。それが西暦360年代末で、その頃から大善寺玉垂宮と筑後市熊野の熊野神社で「鬼夜」と呼ばれる火祭りが始まった(大善寺より熊野神社の方が早い)。

記紀』の中にある田油津姫や羽白熊鷲、桜桃沈輪が神功皇后にやられる話や、壱岐真根子が武内宿禰の換わりに死んだとか、物部氏が出てくるとか、事件を匂わす仲哀天皇崩御の話などは、その時のことではないか。九州倭国内で王朝交代とか系統が替わったとか。



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中央の社殿。



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左の社殿「祇園社/スサノオ



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右の社殿「幸神社/孝元天皇


写真では見えにくいが、鈴の上の木彫は三階松の神紋が彫ってある。宮地嶽(みやじだけ)神社とおなじ三階松紋。三階松を九州王朝の紋だとか、孝霊・孝元・開化の三人を表したものだとか考える人もいる。



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幸神社の右の離れは粟島神社。少彦名を祀る。大国主の国造りをサポートするコンサルタント
少彦名は少童命(ワタツミ)のことでは。


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f:id:chayarokurokuro:20220108012634j:plain イチョウ



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真ん中辺の黄色い看板は高速道路、九州縦貫自動車道のもの。
ブロック塀と黄色い看板に挟まった部分に緑色の屋根の祠とフェンスがみえる。現場で祠に気付かなかった。どうやらその祠の横に石碑が立っていて、

髙良宮宿禰神室加輪髪媛高貴   古墳嬪七坪四方形傳永代爲之   家運息斎又爲後世史歴矣

と書いてあるのだと。高速道路を越えた向こうに卑弥呼の墓説のある「祇園山古墳」という方墳がありまして、石碑はその古墳と被葬者のことを言っているらしい。
加輪髪媛。聞いたことないなぁ。カリンさま?
カワカミと読むと佐賀の與止日女神社(河上神社)と関係しそう。



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修験の役行者を祀ってるらしい。



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画像は明るく写っていますが、夕日が落ちて暗く、急ぎ足。



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以上。

現地の情報だけだと「どこにでもある小さな神社に過ぎない」と素通りするようなものも、資料にあたることで俄然面白さが増しますね。



関連リンク

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