chayarokurokuroの雑記ブログ

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佐賀県三養基郡みやき町『肥前一の宮・千栗八幡宮』

初詣、佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗の『肥前国一の宮千栗八幡宮』に行きました。

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「平成の三四郎」こと柔道の古賀稔彦氏が若い頃にこの千栗八幡宮の階段で足腰を鍛えていたそうであります。急な146段で運動不足にはキツイ。

写真に写っているのは久留米の福岡県立・明善高校の野球部。走り込みしていた。

鳥居は佐賀藩祖・鍋島直茂が1609年に奉納した肥前鳥居。



肥前国一の宮は2つありますが、そのうちの一つです(もう一つの方は與止日女神社。)

「千栗」は ちりく と読みます。栗をリクと読む理由は千栗八幡宮の創建と関係あるようです。



サガテレビが「ちりく」と読む理由を千栗八幡宮の東正弘宮司にインタビュー。

みやき町の"千栗"という地名は、なぜ「ちりく」と読むの…?|さがQ7|番組コーナー|かちかちプレス

佐賀県鳥栖市(とす)に養父(やぶ)という地名がある。千栗八幡宮は創建が神亀元年(724)ですが、その当時の養父郡司壬生春成(みぶ・はるなり)がこの場所で猟をしているとき、弓先に白い鳩が止まった。不思議に思って帰宅したその夜、春成の夢に白髪の老人が現れ、老人から1000個の栗の実を授けられたのだそう。
翌日、猟をした場所に行ってみると、なんと一夜のうちに千株もの栗の木が植わっていた。しかも逆さまに…。



壬生春成はその夢の話を天皇(聖武)に奏上したところ、天皇も大変に喜ばれ、第二皇子を祭主としてこの宮を建てられたという事である。



千株もの栗が逆さまに植わっていたので「千栗」といい、「ちりく」と逆さまに読む。
平安時代中頃(938)にできた辞典『和名類聚抄 (通称 : 和名抄 わみょうしょう )』には「千栗」という地名で載っており、『和名類聚抄・高山寺本』には千栗の読みを「知利久」と記しているという。



聖武天皇の第二皇子を祭主としたとあるが、第二皇子は安積親王(あさかしんのう)といい、17歳で亡くなっている。安積親王 - Wikipedia
どういうことだろう? 母は県犬養広刀自(あがたいぬかい・の・ひろとじ)。県犬養氏は佐賀と関係が深い感じがする。



御祭神




主祭神住吉明神武内宿禰の説明はいらないだろう。
配神の難波皇子とは敏達天皇の子で、かつ栗隈王の父親らしい。「千栗」の「栗」がかぶります。
栗隈王壬申の乱の時に筑紫帥をやっていた人物で、天智側から「兵を出してくれ」との要請を筑紫の防衛の為に断った有名なエピソードがある。



宇治皇子とは、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のことで、応神天皇の子、仁徳天皇の異母弟を指すようだ。
武内宿禰の母・山下影姫の兄は兎道彦(宇豆比古)といい、紀氏の祖とされますが、 菟道稚郎子兎道彦(宇豆比古)は名前が似てるし、見方によってはキャラや時代が被っているように思える。



御由緒

『鎮西要略』によれば、神亀元年(724年)、当時の肥前国養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて千根(ちこん)の栗が生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされる。

『太宰管内志』に引用された『外部局日記』によれば、長保元年(999年)、八幡大菩薩千栗宮から油が湧出し、朝廷に献上された。

承平年間(931年 - 938年)に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、以後その五所別宮の一として崇敬を受けた。

南北朝時代には当宮の西に千栗城が築かれ、戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ幾度か社殿も焼失したが、後に領主龍造寺氏、鍋島氏によって社殿の再興、社領の寄進が行われた。

平安時代後期より肥前国一宮を称してきたが、近世になって式内社・河上神社(現 與止日女神社)との間で一宮の称が争われた。

Wikipedia 千栗八幡宮 - Wikipediaより





福岡県久留米市の水天宮から移動しました。筑後川を渡って直ぐ。5キロも離れていません。

途中、千栗八幡宮のすぐ近くにある大砲ラーメン長門石店で遅い昼御飯。大砲の本店は久留米の護国神社前にある。長門石店は二店目だそうだ。大砲マジ旨い。絶妙すぎる。



場所

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水天宮と千栗八幡宮にピンを差した。バイクで5分も離れていません。徒歩なら30分ほど。



千栗八幡宮は山の上にある。

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階段下の狛犬



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3月15日に「御粥祭 粥占神事」。粥占と言えば、筑紫神社でやっている。カビの生え方で占う。筑後川流域の朝倉から佐賀平野周辺の神社によく見られるとか。



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鳥居の説明。



f:id:chayarokurokuro:20220105173450j:plain 柔道の故・古賀稔彦氏の後援会が設置した石碑。平成8年。



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ゼイゼイ言いながら階段を登りきった。二の鳥居。



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二の鳥居横の狛犬。新米。



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古賀稔彦さんを偲ぶ。芸能人の原口あきまささんなども写っている。



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本殿右側



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粥占いのお粥堂


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2月26日にお粥を炊き、銅製の器にいれて神殿にしばらく納めておき、3月15日に取り出す。カビの生え具合で占う。

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本殿右側のクスノキ。樹齢400年。



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お粥堂の右側にある武雄神社。


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妖怪チックな狛犬


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武雄市の武雄神社は主祭神武内宿禰で、相殿神として武内宿禰の父の武雄心命、そして仲哀天皇応神天皇神功皇后となっている。

こちらの武雄神社は主祭神が武雄心命で、あと天忍穗耳尊、菅原道真イザナギ、高木神。



上の説明板の「御祭神」の所をよく読んでみると、



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高良大社の御祭神武内宿禰は御子である
と書いているではないか。
高良大社の御祭神は、高良玉垂・住吉大神八幡大神で、高良玉垂=武内宿禰とは正式には言ってはいない。



武雄市の武雄神社は神功皇后のいわゆる三韓征伐の帰りに軍船を泊めたのが由来としてある。しかし創建はもっと後の735年で、初代宮司は伴行頼(とものゆきより)。千栗八幡宮の創建724年の方が早い。



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松が植えてある。閑院宮殿下とみえる。植えられたのかな?
閑院宮殿下とは、帝国陸軍元帥・陸軍大将の閑院宮載仁親王のことだろうか? にしては、松が小さい。


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鳩森稲荷神社。御祭神は保食神八幡大神の神使は鳩なので。

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鳩森稲荷の横に、何か怪しい石がある。説明も何もない。支石墓か何かだろうか?



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画像真ん中辺りの山は高良山。高いビルが久留米市役所。方角は南東か。久留米市内を見渡せる位置。

f:id:chayarokurokuro:20220105195731j:plain こっちはみやき町か。

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鳩森稲荷前から武雄神社と八幡宮本殿右側を眺める図



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社寺の建築様式を勉強すればこういうのを見て色んなことが分かって面白いんだろう。造りは何か意味しているだろうし。



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f:id:chayarokurokuro:20220105200600j:plain こっちは吉野ヶ里の方向かな。

f:id:chayarokurokuro:20220105200637j:plain 最後に石段の上から。



千栗八幡宮の西に物部神社がある。三養基郡みやき町の「みやき」は「屯倉」から来ているのかどうか分からないが、穀倉地帯ですし、この辺一帯を倭国の軍隊が守ってたりしたのかな。遺跡についてもそのうち調べて見よう。



【追記】
拝殿内に肥前狛犬が1対配置されているらしいのですが(写真なし)、その説明板を追加します。

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拝殿内の肥前狛犬の画像はコチラで見れます。
千栗八幡宮肥前狛犬 文化遺産オンライン
安土桃山時代のもののようです。有形文化財



肥前狛犬は以前に行った神社でいくつか見られた。

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