chayarokurokuroの雑記ブログ

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「巨勢神社」佐賀市巨勢町

住所は佐賀県佐賀市巨勢町大字牛島。長崎街道の牛島宿。



武内宿禰の次男、許勢小柄宿禰を祖とする古代氏族・巨勢氏ゆかりの神社です。



祭神

  • 巨勢大連
  • 老松大明神
  • 淀姫大明神
  • 乙宮

境内末社



由緒

大化元年(645)壱岐対馬を異国に侵略された時、勅命を受けて直ちに撃退し、尚もその後の守護をする為、当地に留まって荒野を開拓されたのちに神鎮り給ふ土地の人々は護国開拓の神と仰ぎ奉り現在に至る。
老松天満宮、淀姫社、乙宮社
建久五年(1195)参河守護俊治公が巨勢郷の地の地頭職として着任した時に三社を勧請して合祀した。


参河とは三河のことだと。

https://saga-otakara.jp/search/detail.php?id=690はもう少し掘り下げてある。

佐賀県史編纂資料『巨勢神社由緒記』に次の記載がある。    肥前州巨勢荘鎮守巨勢大明神は人皇37代孝徳天皇の御宇異族壱岐対馬の二島を犯すに依り巨勢大連征伐の勅を蒙り下向せり。御退治の後猶西津守護となり慢々たる広野を開き此所に跡を垂れ給うにより巨勢の荘と号し、宗廟巨勢大明神と崇め奉る(下略) 巨勢神社所蔵の『巨勢神社由緒記』、佐賀県神職会発行の『佐賀県神社誌要』にも同意のことが記されている。 『旧藩主各神社調』巻末記載によれば 鎮西肥前州巨勢庄鎮守宗廟巨勢老松大明神、本地不動明王なり。鎮守の由来を尋ね奉るに源頼朝公諸国の地頭職を兼ね給いし後、後鳥羽院の御宇建久5年武蔵国7党の内児玉党の宗子にて参河守俊治筑紫肥陽の地を領して、此の地に下向あり。(中略)故国の氏神老松大明神を瓦町に勧請し、五百余町の宗廟と仰ぎ、あわせて淀姫大明神・乙宮の二社を崇め、二社の本地観音菩薩毘沙門天の二尊像を一堂に安置し奉らる。(中略)その後花園天皇の御宇延慶年中立川阿波守・同舎弟伊豆守・嫡男讃岐守・次男若狭守・鎌倉今泉村より当国に下向あり…とある。 天保10年円満院より実相院への書状の中には、当社の宗廟と申し奉るは大化元年異国より大軍九州へ寄せ来り候節巨勢大連朝臣といいし人討鎮として勅命を蒙り此地に下向ありて不日に討鎮給い永く此地に留り神と跡を垂れ給う。只今の宝殿は即ち朝臣垂迹の所に付、白雉年中巨勢大明神当庄の崇廟と奉仰、また此地を巨勢の里となす。その後、参河守俊治といいし人肥陽の地を領し、此地に下向ありてその生国武蔵国氏神老松大明神と、当国一の宮・淀姫杜・乙宮の三社を宗廟巨勢大明神の宝殿に新に勧請して四社の明神と尊崇し千余町の宗廟と奉仰せり、とある。
『円満院由来記』には、当庄に宗廟神崇に成りし事は白雉年間より、およそ五百四十余年後に、参河守俊治といいし人肥陽の地を領し、建久5年此地に下向ありて牟田という里に居城を築き、住居して故国武蔵の氏神老松大明神を瓦町宗廟本社に勧請し、ならびに淀姫社・天満宮・乙宮の三社を一殿に崇めらる。故に四社の明神と奉申。また古郷巨勢野になぞらえて此地を初めて巨勢と号す。(中略)右俊治の家はおよそ百十余年を経て絶えけるにや、後に相州鎌倉より立川阿波守といいし人、一族4人延慶年中此地に下向ありて、館を築き今泉と号せられ、瓦町の四社は巨勢の崇廟たるにより、今泉(巨勢川西岸一帯の総称)の中四本松一の角に遷されたり…とある。

創建の由来および祭神については前述のように一定していないが、祭神は巨勢大連・老松大明神・淀姫命・乙姫命、さらに菅原道真などを合祀されたものと考えられる。
このように変遷をしているが参河守の一族、立川氏の与党に尊崇され、巨勢郷唯一の鎮守神であったことは否定し難い事実といえよう。
境内に松尾神社・三輪神社・稲荷神社の三社がある。

出典:巨勢P.23巨勢町見てあるきP.11巨勢町の歴史散歩P


大化元年は通常は645年とされるが、695年だと言う人もいる。



場所

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改築されて間もないようで全体的に新しい。

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屋根の上に鳩がいる。 北九州の香月氏ゆかりの杉守神社や、武雄の橘氏ゆかりの正一位神社と同じ。

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鳩は八幡大神の神使。カラスは高良大明神の、鶴は住吉大神の神使。



入口の門になぜか大きなプロペラ

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拝殿

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お寺風



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古株


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拝殿横に半分になった菊の御紋のようなものが。

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「割菊」「半菊」と言うようだ。



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拝殿横から

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本殿



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その他、並べられた祠

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