chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州王朝)など

九州倭国と比叡山

大河ドラマ麒麟がくる』で相変わらず琵琶湖周辺の木瓜紋同士がガチャガチャしている。

信長は朝倉氏を討とうとするも南北から挟み撃ちにされ、比叡山からは「仏を背負った5万の兵を差し向けるぞ」と脅されたと憤慨し地団駄を踏んでいる。

倭国を九州中心的視点で見た場合、琵琶湖の辺りがポイントになるのは6世紀の「磐井の乱」だろうか。筑後を舞台に大規模な戦争が実際にあったとは思えない。それはともかく、ヲホド(継体天皇)は近江の高島辺りの出身だとしている。
乱の後に琵琶湖周辺に「君」の姓(カバネ)を持つ士族がいくつか出てくる。三国君や三尾君、坂田酒人君など。以前からそこに居た士族なんだろうか?
「君」の姓は何故か九州にかたまって居るので九州倭国の王族の姓ではないかと思っているが、琵琶湖に登場したということは九州から勢力が移ったことを意味するのではないか。たとえば「三国」は福岡県小郡の地名にある。

肝心の比叡山。住所が「坂本」という。坂本と来ればピンと来るのは高良玉垂命の皇子「九躰皇子」の7番目の子「坂本命」だ。福岡県久留米や太宰府に坂本神社や坂本八幡宮などがある。
九躰皇子は日本語の一人称の「それがし」「そこもと」「あっし」等と音の似た名前が並ぶ。これは何かあるぜ?

余談だが坂本繋がりで、音楽家坂本龍一の父親は三島由紀夫などを担当していた河出書房の編集者で、たしか小郡出身。何か関係あったかは知らない。
坂本龍馬の出身は土佐。土佐と言えば長宗我部氏。武内宿禰の末裔とする蘇我氏の関係。高良大社宮司家の一つ「物部氏」から別れた宗崎氏は高知に多い。宗崎氏の宗と宗我氏の宗、宗像氏の宗はセットになっているんではなかろうかと睨んでいる。蘇我氏物部氏だとなると、仏教受け入れ時の「蘇我氏vs物部氏の対決」という構図は見直す必要があろう。全山滅亡覚悟で。



さて、比叡山の北に安曇川がある。安曇といえば九州を本拠地とする海軍。神功皇后も安曇磯良に頼み込み七日七夜祈らなければ船一艘だせない強力な権力を持っていた。安曇の名は日本全国にその痕跡を残す。少なくとも卑弥呼の時代からある。今井宗久役の陣内孝則の出身である福岡県大川市の風浪宮の初代宮司が初代安曇磯良。

安曇川の南に鴨川。鴨氏の鴨だろうが、もとは福岡県春日市から佐賀県吉野ヶ里にかけて拡がる弥生時代の青銅器生産地の技術者出身一族だったのではないか。証拠はない。鴨玉依姫という九州の海神の娘と関係している。
安曇川と鴨川の間に田中神社。筑後の物部田中神だ、たぶん…。石清水八幡宮と関係ある?
高島歴史民俗資料館の北に鴨稲荷山古墳。横穴式石室とくり貫き型家形石棺、非常に豪華な副葬品。新羅系の物だそうで、三尾君関係の古墳とされているようだ。「筑紫君磐井は新羅から賄賂を貰って云々」という話とどう繋がるか。
「三尾」をミツオと読み、「満生」と書き換えると糸島の豪族との繋がりかと思えてくる。一貴山銚子塚古墳の絡み。

邪馬台国では丹が採れる。卑弥呼は辰砂の鉱山開発技術を持っていたのだろう。日本では辰砂を縄文時代から土器の釉薬に使っていた。伊万里の黒曜石などは縄文時代の初期から朝鮮半島にも輸出されていたようで、その様な交流を通して朱が貴重品で交換価値があるものだと倭人は大昔から認識していたのではないだろうか。
辰砂は温泉と一緒に地表に出てくる。伊勢神宮の近くにも温泉がある。伊勢神宮が格式高くデカいのは辰砂が鬼のように採れたからだ。朝廷のドライなカネ勘定。佐賀の嬉野温泉一帯にも丹生神社が沢山ある。徳島の若杉山遺跡あたりも温泉がある。比叡山の北に蓬莱山という山があるようですが、名前からしてそこでも採れたのかな。温泉もある。四道将軍丹波道主は丹後に陣取る。高良大社丹波氏と関係あるか。丹後の浦島太郎は辰砂で儲けた。
さては比叡山も辰砂が採れる山なのか?琵琶湖が物流に欠かせない所なのは分かるが、山に陣取った理由が何かある筈。(琵琶湖と京都を一望できるため古代山城として使っていたのかな)



比叡山延暦寺の日本天台宗開祖・最澄は、唐での修行を終えてまもない西暦806年、福岡県みやま市瀬高(旧・山門郡)に本吉山・清水寺を建てた。なぜそんな所に寺を建てたのだろうか。
みやま市清水寺女山(ぞやま)神籠石のある近く。邪馬台国候補地でもある。近くを流れる矢部川有明海に注ぐ。川を遡ると今話題の溝口竈門神社。筑紫君の八女古墳群を通り、さらに山深くいくと日向神社や日向神(ひゅうがみ)という地名がある。神々しい(景行天皇談)八女津姫神社。もっと深くいくと鯛生金山跡(たいお・きんざん)。金が採れる場所。金が採れる所で丹も採れたりする。あながち邪馬台国筑後山門説は間違いではないのかも等と思ったり。
最澄は何か知っていたのだろう、知らんけど。

最澄の父は、滋賀県大津市坂本の一帯を統治する豪族の三津首百枝(みつのおびとももえ)というそうな。三津(ミツ)なる名前を無理やり九州に繋げる。佐賀県吉野ヶ里遺跡の近くに「三津」という地名がある。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町三津。神埼(かんざき)は古くから国際港だったらしく大型船が入っていたらしい。大和朝廷の荘園である。白村江の将軍で巨勢神前という人物がいる。神前はカンザキと読むのだろう。前玉(埼玉)のサキと同じ。武内宿禰の末裔。佐賀市と朝倉(福岡県)に「巨勢」の地名や川がある。
で、神埼郡三津には弥生時代の「三津永田遺跡」があり、漢鏡など豪華な副葬品が出土。吉野ヶ里比叡山坂本が1000年の時を経て繋がっているとしたら…
ちなみに吉野ヶ里遺跡の真ん中には日吉神社が建っている。