chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

筑紫君磐井=大伴金村の子の大伴磐?

大伴氏とは?


7世紀以降にならないとヤマト王権など出てこず、倭国の中心は以前からずっと九州にある。

というような立場で記紀を読むと、大伴氏は九州の倭国王の側近だということになるんだろうか。

初期の大宰帥・筑紫帥には蘇我氏、阿部氏、大伴氏、石上氏、などの名前が見える。九州と関わりの深い氏族なのだろう、そうに違いない。と決め付けたとしよう。

倭の中心を高良大社あたりと考えて、

とすると、これらの氏族や磐井の乱の登場人物はあらかた高良大社宮司や末裔、近習の中に収まってしまう。



しかし、筑後や筑紫に蘇我氏や大伴氏の痕跡が薄い。神社もほぼない。気になるのは大伴部博麻と宗麟の大友氏、熊本八代の蘇我氏ぐらいか。

  • 蘇我=菅原・北野
  • 大伴=伴・坂(坂本=高良九躰皇子)・飯江・阿閇・阿部・膳

などと無理やり関連付ければなくはない。膳を善に変えれば大善寺が見えてくる。大伴こそがど真ん中になってしまう。「我が君」by日羅か。



大伴金村の子に大伴磐がいる。経歴は

磐は筑紫国に留まって、その国政を掌り、三韓高句麗百済新羅)に対して防備を固めた。一方の狭手彦は渡海して任那を鎮め、百済を助けた。(Wikipedia)

筑紫君磐井とキャラが被る。
ついでに、大伴磐の弟の狭手彦襲津彦みたいな名前。日本書紀は磐井の子を葛子と書く。筑後羽犬塚の古い地名は「葛」。「葛」=「藤」とすれば筑後には藤関連はたくさんある。

さらに、大伴磐の兄弟に大伴糠手子がいる。また同時代に物部守屋討伐軍に参加した坂本糠手がいる。
大伴糠手子=坂本糠手か?
坂本糠手の父は坂本建日とある。大伴武日と同一人物か関連性を匂わしてる?

坂本=大伴か?



結局、720年成立でヤマト朝廷がいくらでも改竄できる立場で書いた日本書紀ですら、九州は継体天皇のタッチしない物部麁鹿火のものにされており、独立な存在として認めていると考えていいのだろうか?
高良大社の大宮司物部氏であることや筑後遠賀川流域が物部氏発祥ということを考えると、物部麁鹿火高良大社の管理下だろうから乱による勢力的なことは何も変わっていない。



「九州倭国説」かつ「筑紫君磐井=大伴磐」でいくと、磐井の乱はただの親子喧嘩で、磐井≠大伴磐でもただの同族間の争いみたいになってしまう。
200年前のことをイキイキとドラマ仕立てにした意図が見えない。