福岡県鞍手郡鞍手町大字中山の『八劔神社』(やつるぎ)に行って来ました。
北九州の遠賀川流域には「八劔神社」「八剣神社」「剣神社」と似た名前の神社が幾つかありますが、剣岳の中腹にあり、かつ東側(遠賀川に近い)こちら大字中山へ伺いました。
場所
地図の中心にある緑生い茂る剣岳の西側には大字「新北」(にぎた)がニギニギしくあり、熱田神社もあります。
「この辺りに本家本元の物部の鉄剣生産拠点か何かがあったんじゃなかろうか」などと妄想が拡がります。
元々は剣岳の頂上にあったようですが、戦国時代に現在の場所に移したとか。
九州自動車道の鞍手インターチェンジ方面から、高速の脇を走る細い作業用道路のような道を行きました。えらくアクセスしにくくされたな…と。
来た道を逆方面から撮った
高速脇を走ると山の方面に案内板が出ています。駐車場は写真の左手に(写ってないが)15台ほどのスペース。トイレも完備。
「修理固成」(つくりかたのなせ)
神々が日本をお造りになった一番大切な言葉で、物を創造する・種々のものを発明する、の意で、神道の根本である
物づくりジャパンの原点でしょうか。物部の部是か。
八劔神社の由緒
- 創建
- 祭神
- 由緒
無駄に書き起こしてみた。田部今朝麿さんは「首長」か「酋長」か「尊長」か分からないが「首長」とした。句読点がないので繋げた。
上がり藤。
左の狛犬。お尻を上げてる。
雌。後ろから見ると…
鞍手町「六嶽神社」や宮若市「竹原古墳」の諏訪神社にあったのと同じポーズ。
【参考】福岡県鞍手郡鞍手町『六嶽神社』 - chayarokurokuroの読書ブログ
福岡県宮若市竹原『竹原古墳』 - chayarokurokuroの読書ブログ
右のは雄。
股に表現してある。と神社の方が仰ったので間違いない。
こいつがチャンピオン。かわいらしい
どこの神社も狛犬がたくさんいる場合は古参が社殿に近い側にあるっぽい。年功序列。
ここにも象の鼻の木鼻がありますね。
逆さミッキーマウス、州浜紋のようなものが
逆側にも象の鼻
牛!
スサノオか。牛頭。
牛と言えば、
『松野連系図』に倭の五王を含めた王の名が載っている。その後の代に「牛慈」という人物がいるが、牛慈を筑紫君磐井だと言っているものもある。
倭人伝で卑弥呼の遣いに「都市牛利」もいました。
長野の安曇野の「八面大王」も牛でしたか。八女と関係ある。
安閑天皇が継体天皇の次で、磐井とも時代がかぶる。
山の上から水
本殿横に内向きに狛犬がいる。
六嶽神社も本殿横にいた。鳥のとまった燈籠を頭に乗せたやつ。
何かいますね…
無理やり画像を拡大
本殿の左側でも見張り。ご苦労様です。
というか何で内を向いてるんだろ?
これでは狛犬が神を見張ってる感じじゃない?
本殿の左にある建物
鬼がいますよ。ガッツリ見てる。
妄想タイム
私は、
「663年の白村江の戦いの大惨敗で、九州に本部を置く倭国が壊滅状態に陥り、672年の壬申の乱以降に倭国と別種の日本国が建国された、建国されていく」と考えている。
ヤマト王権はなかった/旧唐書と新唐書 - chayarokurokuroの読書ブログ
従って、記紀の役割は「倭国の存在を消し、倭国やその他の豪族らを日本国として取り込む為に書かれた書」だと思う。
そういう立場なので、記紀に登場する「なんとか天皇」みたいな人物たちを「ヤマト王権の何か」だとは見なしていない。倭国王は居ただろうが、ヤマト王権の「天皇」自体など存在しなかった。景行天皇や日本武尊も創作された架空の人物だと思う。多くの歴史学者も架空だとするように。
ただし、日本武尊のモデルとなった人物は筑豊に確かに居たんだろうと思う。元々九州の人物だろうと。佐賀の與止日女神社あたりまで行って川上梟帥に名前を貰って来た筑豊人か、川上梟帥と同一人物が筑豊に来たか。まぁ、わからんけど。
こちらの八劔神社で祀る宮簀媛(ミヤズヒメ)は、筑紫(新北)物部の長官小狭田彦(香月氏の先祖)の娘の常磐津姫の別名かと。常磐津姫は日本武尊の奥さんだから。
そして実際に日本武尊のモデルとなった人物(の誰か)は東征しただろう。神武も四道将軍も同じパターンだ。関東東北に九州式の装飾古墳があるので、その時代にもした。そして日本武尊のモデルの一人は琵琶湖の東側の伊吹山で死んだのかも知れん。
追記
伊吹山には白い大猪がいて日本武尊はそれにやられ、病気となって三重県亀山の能褒野で死んだことになってました。
何れにせよ伊吹山には勝てないような相手が居たと。
福岡県糸島最大の前方後円墳『一貴山銚子塚古墳』 - chayarokurokuroの読書ブログ
↑前に投稿の、糸島市の「一貴山 銚子塚古墳」で出土した鍍金鏡(金メッキ入りの銅鏡)は、中国でも曹操のようなスーパーハイクラスな人物しか持てない品物だそうだが、この金メッキ入りの銅鏡は日本でたったの3例しか出土していないといいます。
一番下の岐阜は日本武尊が死んだとされる伊吹山の近所(←追記 勘違いです。能褒野でお隠れあそばしたようだ)。「野古墳群」の中にある。
「野」は「みの」で、「御野」「三野」と書いた。読みが耳納(高良山の裏)と同じ。額田部氏や木曽氏(諏訪氏末裔)の名前が見える。大河ドラマで、土岐氏や織田氏がガチャガチャやっている地域。
織田氏は、糸島の細石神社や高祖神社、久留米の高良大社らが持つのと同じ木瓜紋。
織田と熱田。熱田と鞍手新北。
弥生時代の鉄の分布を見ると九州が圧倒的だけど、本州なら愛知は高い方なので、早い段階で繋がっていたんだろうと思う。
妄想はつきません。
世が世なら首と胴が離れていたかもしれん。