chayarokurokuroの雑記ブログ

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卑弥呼の殉葬

魏志倭人伝には卑弥呼が亡くなった際に奴婢100人余りを一緒に埋葬したことが記されている。
記紀では垂仁天皇の妻の日葉酢媛が亡くなった際、殉葬の悪習を嫌う天皇に対し野見宿禰が埴輪の埋葬を進言したことになっている。考古学的には疑問らしい…

しかし困ったことに、倭人は殉葬の文化を持たなかった。
殉葬の文化は高句麗馬韓の夫余族など北方民族が持っていたとされている。
ついでに、出雲ならびに日本海岸に多く分布する四隅突出型墳丘墓のルーツも高句麗で、おまけに前方後円墳も前方後円型積石塚という、こちらも高句麗をルーツとする説がある。
漢帝国が朝鮮に楽浪郡ほか四郡を置いた際に倭の存在が明るみに出たというが、その時日本に渡って来たのかしらん。

卑弥呼の墓の有力候補とされる一つに福岡県糸島にある超絶豪華な副葬品が出土した平原遺跡1号がある。方形周溝墓で木棺墓。殉葬は見つからず。ただし4号墓からは殉葬らしき可能性が見つかっていると。
ここから東に1.5キロ離れた三雲南小路遺跡も超絶豪華な副葬品を持つ。2基の甕棺墓で、初期の頃の伊都国王夫婦の墓などと言われている。こちらも殉葬はない。



この遺跡の直ぐ東には細石(さざれいし)神社があり、磐長姫と木花開耶姫を祀っている。
北には楽浪郡の役人の居住区とされる場所が確かあったような…

甕棺墓は弥生時代の北部九州に見られる墓で、朝鮮だと半島西側に分布。あとは東南アジアやインドなどで紀元前数世紀の遺跡に見つかるという。こちらは南方系の文化ですかね。稲作などと共に運ばれてきたのかな。

その他の候補として、福岡県久留米の高良山の麓の丘陵にある祇園山古墳。3世紀中頃のものと見られている方墳。葺石2段。箱型石棺。楽浪漢墓に似る云々。
祇園山古墳 - Wikipediaによると、

甕棺は糸島地区にみられる甕棺専用大型土器の系統に連なり、その末期型式に位置づけられる。


墳丘外周からは、66人分以上と推定される甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基(未調査5・不明2を含む)、箱式石棺墓7基、竪穴式石室墓13基、構造不明7基の埋葬施設が確認されている。


半世紀の間に66人もの集団墓?。あやしい。副葬品は「古い時代に盗掘を受けたと見られ失われている」云々。Wikipediaを読むとありそうな感じの印象。
祇園楽浪方形。これは北方系か。
箱型石棺は島原半島の原山支石墓群に見られるような縄文後期の墓の発展系かな。

「甕棺墓は糸島の倭王の系譜に連なる可能性」と。糸島から高良山に高木神を持ってきた人たちか。

垂仁天皇の奥さんの日葉酢媛は、父親が丹波道主で、母親は丹波之河上之麻須郎女。
丹波」は高良大社丹波氏かな。 「河上」は川上梟帥(熊襲梟帥)の河上神社=與止日女神社の河上だな。卑弥呼の次の次に立つ女王の壹與が與止日女=豊姫だ。
崇神天皇が夫婦共々水間城で三潴。または佐賀県武雄市の水間坂。

みんな有明海岸。知らんけど。