同じく佐賀県にある
「櫛田宮」
「白角折宮(おしとり)」
と合わせて「櫛田三所大明神(クシダ・サンショ・ダイミョウジン)」と称された神社です。
高志…越国や糸島の高祖(たかす)神社と関係あるんだろうか?
御祭神
- 須佐之男命
櫛田宮では、スサノオのことを「高志大明神」と呼んでいる。
由緒
この社と櫛田宮・白角折神社(旧仁比山村朝日)とは三所一体の神社で、永仁6年(1298)の文書にすでに記載のある古社です。 「櫛田宮略記」には「平安時代。今の神埼市から三養基郡みやき町あたりまでは皇室領の三千町歩もある荘園で「神埼御荘」と尊称されていた。その荘園の総鎮守が櫛田宮であり、南北各一里の地に鎮座する高志神社・白角折神社とは三所一体の神社で「三宮一徳、三所明神」と称した。」と紹介されています。
高志神社より
場所
北に4キロほど行くと「櫛田宮」。そこから2キロほど行けば「吉野ヶ里」。高志宮から南へ行けば筑後川が流れていて、すぐ有明海です。この一帯は弥生時代の甕棺がたくさん発掘されているようなので、その頃には陸地。沼地や潟でもなさそうです。
参道入口の鳥居
鳥居の周囲
平地と田畑が拡がる。
「佐賀県史跡 高志神社遺跡」
平成12年4月28日指定
高志神社遺跡は、千代田町北東部、田手川西岸の微高地(標高4.5m)に位置する高志神社の境内を中心とした弥生遺跡です。
調査の結果、弥生時代前期末から中期中頃の甕棺墓38基、弥生時代中期前半の祭祀遺構2基、井戸跡4基、土壙9基、貝塚などであり、遺跡の北側に墓地、西側に貝塚、南側に集落が配されています。
高志神社遺跡は、狭い範囲ながらも、集落、墓地、貝塚が確認されており、佐賀平野の弥生時代の遺跡の中でも、有明海の海岸線に位置するムラの特徴を備えています。
また、墓地より検出された戦士と思われる甕棺墓から発見された武器類の出土は、当時の戦闘・呪礼など数々の社会事情について今後の研究に好資料を提供するものです。特に、出土した銅剣は、この遺跡が佐賀平野のみならず、我が国の初期青銅器文化における青銅器の使用形態や生産・分配状況の解明、および大陸との交渉などの研究にも重要な遺跡であることを示しています。
素晴らしい。
神楽殿
ここで毎年10月12日の秋祭で、集落の方々による高志狂言が奉納されているようだ。
振り返る
境内に公民館
拝殿
佐賀の櫛田宮と同じ、剣がバツ印に重なる神紋がある。
本紋のスサノオの剣なんじゃないか…
うんこ座りして膝に手を置く鬼のような人が柱にいるぞ!
シコ踏む相撲取りみたい。もしや屎まり散らかすスサノオの彫刻か…
高志神社遺跡は宮を中心に北に墓地があり甕棺墓が埋まっていたと上の説明にあった。その石碑でしょうか。
「宮地嶽」の文字。
「天満宮」
弥生遺跡を伴った場所なので激しく本物臭がする気がして、この辺の神社はドキドキしながら巡っている。
デカくて立派な神社でもない所がまた「隠された倭国」的で、逆に本物くさいと思えてきたりして。
「全国どこにでも祀られているスサノオの本宮は、正にココなんじゃないか…」等と。
分からんけどね。