佐賀県神埼市神埼町的(いくわ)の仁比山(にいやま)神社に行って来ました。
別名を山王日吉宮、山王さん。
御祭神
由緒
天平元年(聖武天皇 729年)この地に松尾大社を勧請したことを創始とする。
その後承和11年(844年)に慈覚大師が唐から戻る際この地に立ち寄り、土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上したところ、比叡の神威を感じた仁明天皇の命により近江坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とした。そのときにこの地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたとされている。
社殿は度々焼失したが、佐賀藩藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子により再建された。さらに明治3年に貞観15年(873年)創建と伝わる白角折社などを合祀(神社合祀令)して仁比山神社となった。なお、白角折社は後に旧地に復座している。
無形民俗文化財
民俗芸能「御田舞」(佐賀県重要無形民俗文化財)
12年に1度、申年に開かれる「大御田祭」で奉納される。平安時代に猿を神使とする大津市の日吉大社から伝わった。豊作を願うもので、かつては口伝で受け継がれていたが現在は映像記録を利用している
場所
近代医学の祖・伊東玄朴の旧宅のすぐ近くです。
「伊東玄朴旧宅」佐賀県神埼市神埼町 - chayarokurokuroの読書ブログ
参道入口に目立つ鳥居と楼門。ここを右手に1キロほど入って突き当たりに神社。
鳥居前の道路
「山王大権現」
仁王門の金剛力士像
金剛力士像二体(神埼市重要文化財)
参道入口にある江戸時代建設の仁王門に安置されている。門は元々は仁比山護国寺の山門であったと考えられていて、3間1戸の八脚門の特徴を持つ。右に阿形、左に吽形の金剛力士(仁王)像がある。九州でも最古級の仁王像。
参道入口の鳥居から緩やかな登り坂を上がってくると正面に神社、右手に駐車場、左手に「名勝 九年庵庭園」
正面は神社
「名勝 九年庵庭園」
九年庵(くねんあん)
九年庵・国の名勝指定(平成7年) 佐賀の大実業家、伊丹弥太郎が明治25年に造った別荘と明治33年から9年の歳月をかけて築いた6,800㎡の庭園。 別荘は入母屋葦葺の屋根に杉腰張りの土壁、竹格子の連小窓や真竹を用いた周りの濡縁など、野趣に富む外観を持ち、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加えられ、茶室と書院の様式を折衷した近世和風の数奇屋建築です。 庭園は広く、多くのツツジやモミジ類などが植栽されており、四季を通して美しい景色を描き出しています。また、庭一面に広がるコケはまるでじゅうたんを敷き詰めたかのように錯覚してしまいます。 九年庵は平成7年2月に国の名勝の指定を受け、毎年春の新緑の時期と秋の紅葉の時期に一般公開をしています。
大実業家の伊丹弥太郎
1867年1月17日-1833年10月3日。
現在の佐賀県佐賀市出身。伊丹家は佐賀藩の御用商人で屋号は「鉄屋」。父の事業を継いで佐賀の栄銀行(佐賀銀行の前身の一つ)頭取を務め、同行を中心に多数の企業に関係して「佐賀財閥」と呼ばれる地方財閥を築いた。また佐賀県下有数の地主でもあり、佐賀県多額納税者として貴族院議員を1期7年務めている。
佐賀県外では電気事業や鉄道事業にかかわり、九州電灯鉄道・東邦電力社長、九州鉄道(現・西日本鉄道)初代社長を歴任した。
有名な企業が並ぶね。全然知らんかった。
ここから神社に入っていきます。
夏に行ったのでモミジが青々
神社内は庭園のような造りで、手が行き届いていて素晴らしい。
剣花菱紋。櫛田宮のスサノオの剣だろうか?
釣りびとがいました
拝殿
拝殿の左壁に由緒書き。手水舎の横の由緒書と違い、なぜかこちらの祭神には「鴨玉依姫」が追加されている。
三猿。
本殿の後ろでお地蔵さんのお手入れをされている
「松尾宮」
拝殿前の階段上から
ここは脊振山(せぶりさん/せふりさん)の佐賀側に位置する。スサノオの子の五十猛を祀った山だ。北に山を越えると福岡県の糸島に行く。または北東の方に行けば奴国の春日市。東に行けば鬼国の基山。南東に行けば高良山。南に行けば吉野ヶ里と有明海。西に行けば武雄。
基山の基肄城にも三猿の像があった。本当にアンタッチャブルなヤバい所なのかもしれん…