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「伊東玄朴旧宅」佐賀県神埼市神埼町

佐賀県神埼市神埼町的仁比山の「伊東玄朴旧宅」に行って来ました。

伊東 玄朴(いとう げんぼく、寛政12年12月28日(1801年2月11日) - 明治4年1月2日(1871年2月20日))は、日本近代医学の祖と呼ばれる蘭方医で、西洋医学としては初めて江戸幕府奥医師(将軍の侍医)を務めた。名は淵。
日本で最初に天然痘を予防するための種痘を導入、象先堂(しょうせんどう)という蘭学塾を開き、また現在の東京大学医学部となる西洋医学所の創設など、官医界における蘭方の地位を確立した人物とされます。

玄朴の父親は、仁比山神社(にいやま・じんじゃ)に仕えた執行重助。玄朴の旧宅は彼が漢方医だった頃に4年間だけ住み、20歳の時に建て替えた家。すぐ近くにその神社があります。
実家の執行家は、佐賀藩着座執行家および櫛田宮社家執行家の一族と考えられるが、当時は貧しい農民であったといいます。のちに佐賀藩士・伊東家の養子となる。伊東家は、龍造寺氏の譜代家臣・伊東家秀の子孫。

長崎の鳴滝塾シーボルトよりオランダ医学を学ぶ。 1826年4月、オランダ商館長の江戸参府にシーボルト随行する際、一緒に江戸へ向かい、そのまま江戸に留まって、佐賀藩医の身分で蘭学の諸同志と交流。その後の活躍に繋がる。



場所

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住所は佐賀県神埼市神埼町的仁比山。「神埼(かんざき)」は平安~室町時代は朝廷の荘園で、吉野ヶ里のそば。「的(いくわ)」は武内宿禰の子の葛城襲津彦の子孫「的臣」の「的」で、福岡県の筑後川沿いにもある「浮羽(うきは) = 生葉」と同じ。
「仁比山(にいやま)」の語源は「仁明天皇」の「仁」と「比叡山」の「比山」を足したものらしい。仁比山神社 - Wikipedia



伊東玄朴旧宅は、仁比山神社と仁比山地蔵院に向かう手前にあります。神社の駐車場に停めて、来た坂を徒歩で下る。

旧宅前の道路
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旧宅前の説明板等
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これが旧宅の外観

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そして、

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工事中につき休館中。



8月頃に行きました。次に伺う理由ができたということで。



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