佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲3657-3 にあります丹生(たんじょう)神社へ行って来ました。
場所
脇を塩田川が流れています。嬉野市にはその川沿いに幾つか丹生神社があります。
下の画像の青いピンも丹生神社。↓
ここに載っていない丹生神社もある。
今回行ったこちらの丹生神社は、塩田川沿いに数社ある丹生神社の総本社です。
丹生神社は全国にあります。「丹生」と書いて「にう」とか読みますが、こちらは「たんじょう」と読む。
丹生の「丹」は辰砂=丹砂=朱、つまり水銀のことで、その漢字は「井戸に点」がある象形を表す。自然界にある水銀は石に赤く混じった硫化水銀として存在しており、熱水鉱床から産出されます。温泉と一緒にマンガンや金などと共に地表に出てくるとか。宝石のように結晶化している場合もある。赤いので赤ちゃんや出産に例えられたりします。
水銀に対しては公害病もあり一般的に良いイメージはないと思いますが、人類は古くから水銀朱を「賢者の石」や「不老長寿の薬」と呼び、ミイラ作りや実際に薬として飲んだり、金を取り出したりメッキする際に使ったり、または大王のお墓に撒いたり塗ったりして大変価値の高いものとして利用してきました。日本では朱が塗られた縄文土器があるとかで意外と古くから使っていたようで。
また古墳の説明で「朱が塗られている」とあれば、位の高い人のお墓だと思ってよさそうです。古墳時代末期になると辰砂朱の換わりに「ベンガラ」と呼ばれる酸化鉄が使われていたりします。辰砂と同じように赤い。ベンガラを使ったのは辰砂が採れなくなったからでしょうか。魏志倭人伝には「邪馬台国では丹が採れる」と書いてあります。卑弥呼には財力があったのでしょうかね。神社が朱色だったりするのもこれに由来します。
私が読んだもので、菊池明弘『邪馬台国は「朱の王国」だった』文春新書では、神武天皇の東征で何ヵ所かの「宮」が出てきますが、それらは辰砂の産地であると。九州で採り尽くしたから東に移ったのでは等とも。始皇帝の秦帝国の徐福が探しに出たのも不老長寿の薬を求めてでした。こうした「朱」にまつわる歴史研究は以前から定番としてあるようで結構面白い。
撮ってきた写真を
流れの速い小川
「正一位丹生神社」。財力あるんで位も高い。
由緒
拝殿正面
手水舎
瓦に鍋島家の家紋
別の由緒書
- 御祭神 : 罔象女神(ミズハノメ)
- 由緒:
馬場下宮ノ元に罔象女神を御祭神とする丹生神社が有り、塩田川沿いの丹生神社の総本社である。
元明天皇の御代和銅2年右大臣藤原淡海の奏請により勅使下向社頭を紀伊国高野丹生山に造営し、水神罔象女神を祀った。元明天皇承和2年肥前国塩田郷に御遷座し馬場主殿を神主とし、今日迄に至っている。
往昔は藤津の宗廟として、朝廷の尊崇深く塩田川流域の住民の信仰を厚くした。
元明天皇は諱を阿閇(あへい)または阿部皇女という。父は天智天皇で母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘(めいのいらつめ)。在位は古事記が成立した712年を挟む709~715年で、崩御が日本書紀成立の翌年の721年。
上には「右大臣藤原淡海」とあるが、当時の右大臣は藤原不比等なので、藤原不比等 = 藤原淡海
ということですかね。ちなみに名前の似た淡海三船は天智天皇の玄孫なので世代が少し新しく別人みたい。
由緒にはまた「往昔は藤津の宗廟として、朝廷の尊崇深く」とあり、ここは藤津という地名だったんでしょうか。「藤」から連想で藤大臣とか藤原とか古くから倭国や大和朝廷に繋がりありそう。
辰砂で儲かってホクホク顔
変な馬がいます!
漫画チック
右の狛犬
右の狛犬の背中に子どもが乗っている。髪の毛に噛みついている
左側の狛犬
左側のはお腹に子どもがいる。お乳を吸っている。丹生神社だから乳。赤ちゃん。辰砂・朱の赤。
佐賀の鍋島家の紋
拝殿と本殿の通路が長いのが格式の高い神社だとか
11月2・3日に毎年塩田くんちが行われているそうです。