福岡県糸島市の『雷山神籠石』までオートバイ(クルーザータイプ)で登りました。
糸島市公式・雷山神籠石
神籠石は古代山城ですが『古事記』にも『日本書紀』にも出てきません。『日本書紀』には天智天皇の頃に山城を建築・改築したことは幾つか書かれています。それを朝鮮式古代山城といい、百済人技術者などを使って、頭ほどの大きさの自然の石を上手に積み上げて石垣を作る「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれる工法がもちいられている。
それに対して、神籠石系山城の場合は大きな石を長方形にピシャッと切り揃えて積み上げたり、一列で数キロに渡って山の斜面を巡らせてある。この神籠石系山城は歴史書に記録が出てきません。いつ作られたのか分かっていない。主に北部九州の筑紫平野を取り囲むような場所や瀬戸内海岸に幾つか発見されています。
歴史学者は『日本書紀』斉明天皇4年~7世紀頃に作られたと主張しています。私はもっと早い時代だと思っております。
神籠石 - Wikipedia
2021年9月に雷神社に行ったのですが、雷山神籠石の場所が分からなかった(時間もなかった)ため、今回はリベンジ。
福岡県糸島市雷山「雷神社」 - chayarokurokuroの雑記ブログ
場所
唐津の方から福岡市方向に、国道202号今宿道路を走ってきました。「ホームセンターナフコ 二丈店」や「釣具のまるきん 糸島店」のある上深江の交差点から右折し、県道49号大野城二丈線に入ります。
しばらく走ると、糸島市飯原辺りの左手に雉琴の市という地元で取れた野菜などを販売するスーパーマーケットがある。
その少し手前右側に道路が伸びており、「雷山神籠石」の小さな目立たない標識が見えたので戻り、
登って行った。
右側に小さく「雷山神籠石」の案内板が見える。
左手の先に「雉琴の市」というスーパー。
雉琴の市まで行き過ぎ、右側に見えた案内板の所まで戻って進んだ。
これが失敗のもと! Googleマップで経路検索すると、
「三坂」の交差点から右折し、県道564号を真言宗大覚寺派雷山千如寺大悲王院や雷神社の方から行くように表示される。こちらの方が楽に行けます。
スーパーマーケット「雉琴の市」の手前から右折したので、下の写真の白くクネクネした山道を登る羽目に。
途中までは民家があるが、山道になる。舗装も所々しかされておらず、砂利道。軽トラが一台通れるほどの細さですので車では行けない。離合できない。
ダム?
しばらく「雷山神籠石」の標識も何も出てこない。到着まで3キロほど。
オフロードバイクなら楽に行けるだろうけど、クルーザーで砂利道はキツイ。足を取られながら、一速の徐行。
左手にこの案内表示が見えれば到着です。
「→ 雷山神籠石」と書いてある方向に細い山道を下ります。
標識から下って直ぐにベンチが見えます。到着。
下の石垣は神籠石の水門跡(上流側)
下ってきた道
ベンチ向かって左手に「筒城神社跡」
筒城は中世に原田氏の居城・高祖山(たかすやま)城の支城で、家臣の西重国が守っていたという。原田氏が衰えると西氏は対立するようになるが、1567年に結局原田氏に攻め滅ぼされてしまったと。
ニニギを祀る雷神社や雷山に中世でも「西(にき、にぎ)」氏がいたというのが何とも。
「筒城神社跡」の石碑の右側。写真右下に神籠石の列石が見える。
列石を上から。
ベンチの下に下りる。水門の下流側。
列石を横から。かなりの急斜面を上に並べて続いている。
水門を下流側上部から。
かなり大きい石が使ってある。高良山神籠石のと同じくらいのやつ。
鳥居前
史跡名勝天然記念物保存 昭和七年三月 文部省
ベンチ向かって右手にも列石が伸びている。
次回に続きます。