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創建192年…大川風浪宮と筑後の阿曇族

風浪宮
風浪宮とは | 風浪宮



福岡県大川市にある神社。初代斎主が阿曇磯良宮司も阿曇氏だそうで。少童と住吉三神神功皇后と高良玉垂れを祀る、創建が西暦192年で1800年の歴史。むちゃくちゃ古い。



御由緒

本宮は神功皇后新羅御新征よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀りました。(旧暦十一月二十九日)


筑後「葦原の津」というのっぴきならん名前。
神功は仲哀天皇の嫁で応神の母ちゃんなんでたぶん300年代頃の人物のはずだが、神功・応神のペアは大概いろんな記録で時代がデタラメ。卑弥呼に合わせようとして引っ掻き回したんだろうか。全部創作だろうか。

長崎市の式見という場所に神楽島という小さな島がある。神功が帰国する時に立ち寄って神楽を舞ったという伝説がある。式見小学校の校歌にも歌われる。神功はその後、式見から上陸して東に陸を進み、長与という場所で夜を過ごす。寒くて夜が長いと感じたので地名がナガヨになったという。ちなみに式見も長与ものちに大村藩の家老(中村氏と長與氏)が住んでいた場所。
このあとのルートを知らないが、仮に大川の風浪宮に行ったというのであれば、長与から諫早まで陸路、そこから船で有明海を横断して大川かな。明治時代まではこの海路の船があったと何かで読んだ。
このルートを取らずに日本海側から有明海に入るには長崎をぐるッと回らなければならない。遠回り過ぎる。八代や鹿児島行くならそっちを取るとは思う。

追記
長崎市の茂木に神功皇后に纏わる言い伝えが残っているようだ。茂木から島原半島回って筑後。でも玉名素通りする訳もないだろう。菊池にご挨拶して北上かな?
追記終わり
応神を宇美で産んだことになってるんで、大川から瀬高か船小屋あたりまで移動し、鹿児島本線九産大前まで行ったわけだ。遠いっすね。どんだけ石巻き付けてても間に合わんと思うw



阿曇磯良
阿曇磯良 - Wikipedia


『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

佐賀の鹿島も常陸国鹿嶋も志賀島の鹿か。春日大社も阿曇ということは中臣も阿曇の海人族なのね。