chayarokurokuroの雑記ブログ

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履中天皇の皇后黒媛急死事件。倭と日本

西暦400年頃に履中=イザホワケという天皇がいる。その皇后の黒媛の急死事件と、倭と日本についてのメモ。



第17代履中天皇の父は仁徳天皇で、母は葛城襲津彦の娘の磐之媛だとされる。
仁徳は強い宮崎臭がすると思っているが、その嫡子の履中=イザホワケの「イザ」も九州によくある地名の「伊佐」に因んでいる臭い。南九州。
一方母方の方の葛城襲津彦武内宿禰の息子だといい、武内は佐賀の武雄や福岡の久留米の高良山や小郡臭がするので、こちらもルーツに(意地で)九州を関係付けする。北部九州。

履中天皇 Wikipediaによると、皇后の葛城黒媛は葛城襲津彦の息子の羽田矢代宿禰か葦田宿禰のどちらかの娘という。
前の投稿こちらで、葦田宿禰は熊本八代の葦北との関係性を妄想したが、羽田矢代宿禰は名前にモロに「ヤツシロ」と読める字が含まれてますね。何でしょうかね。

戻りまして、履中天皇にはまた、次のようなことが書かれている。

筑紫に課税しようとしたことで神の祟りを受けて皇后を失い、翌年には讃岐国造の鷲住王を呼び寄せようとするが無視されるなど、西方への支配が行き届いていない面も見られる。


さらに

即位5年 9月、筑紫三神の祟りで皇后崩御



筑紫に課税しようとして筑紫の神の祟りで崩御するとは、恐ろしい。松本清張が何か書きそうな事件。

近畿の勢力は簡単に九州、四国に手が出せない。しかも住吉仲皇子の乱という形で阿曇某も絡んで悶着が起きている。
卑弥呼と同時代と思われる第10代崇神天皇の部隊四道将軍 Wikipediaの派遣先に九州と四国、出雲地方などが無いことと、簡単に手が出せないこととはどう関わっているのか。



「日本」という国号は西暦702年公布の大宝律令による。
天皇」の称号は7世紀半ばの天武天皇から始まるとされる。
西暦600年から始まる遣隋使の国号は「俀國」であって倭国ではなく、その後も迷走して738年に「大養徳国」、748年に「大倭国」、757年頃から「大和」に定められたとされる。
大和国 Wikipedia
中国の古世界地図には倭と日本が別個に描かれている。
唐書などにも倭と大倭を別物とする。
九州・四国・吉備瀬戸内海周辺に神籠石がある。



このような理由を主にして、「本当にヤマト王権なんてものはあったの?」。
逆に、じゃあ、あの近畿の馬鹿デカい古墳は何なのかと。
九州は古墳のサイズに価値を置いていなかった、デカい古墳を作るほど暇じゃなかった、等。