佐賀県嬉野市大字下野にある葦筒宮(あしづつ)へ行って来ました。
島田洋七のがばいばあちゃんの撮影か何かで使われたとか。
派手なカラーリング。
私は倭国(の都)が7世紀後半まで九州にあったと思っているんですが、神社巡りをする際にネットで九州王朝説関連の記事を読んで重要そうな遺跡や神社に目星を付け、マップで巡る順序を決めて、1日で10箇所以上をダーッとバイクで回ったりしているのですけど、ここ葦筒宮にたどり着く途中に「吉田」とか「春日」という地名が飛び込んで来て印象に残っている。葦筒宮も吉田地区という所にあるようです。
場所
嬉野温泉街から少し離れたところ。
なぜ嬉野周辺の神社を回ったかと言うと、この辺りは温泉があるからか、丹生神社が多いのです。つまり辰砂=朱=水銀が採れた地域ということです。辰砂は古今東西、金より価値のあるものとして重宝されており、邪馬台国も丹が採れると書いてある。嬉野も弥生・古墳時代に間違いなく、かなりの力を持つ豪族が居ただろうと思うのです。
周辺の風景
神社にはどこでも周りに木が植えてあり、遠くからでも「あそこは神社かな?」と分かる。石垣が見えた。
由緒
祭神は国常立尊と大国魂命。
大国魂命は大国主の別名の一つだそう。国常立尊は天地開闢(かいびゃく)で最初に現れる神様で、天御中主の別名という説もある。
アメノミナカヌシは8世紀のヤマト朝廷が記紀を出す時に、中臣=藤原(不比等)の権威を付けるために造化三神のトップに持ってきたんだろう。ナカヌシは明らかに中臣のことだ。
で、国常立尊は中臣と関連が深く、吉田神道もこれを特別視しているそうだが、葦筒宮の付近に「吉田」「春日」の地名があるという所に繋がる。辰砂も採れる地域。権力を持つ理由のようなものが見えてくる気がする。
ネットで探すと、↑ここで奉納踊りなどがされている様子。
神紋などは見つけられず。
側面はさらにド派手。
以上です。