chayarokurokuroの雑記ブログ

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画文帯神獣鏡が邪馬台国畿内説を粉砕する

画文帯神獣鏡は着目すべき銅鏡のようです。なんか避けられているようなので軽く触れてみる。障らぬ神になんちゃらかんちゃら。

奈良の箸墓古墳は全長が100メートルを超え、ヤマト王権最初の巨大古墳と言われております。宮内庁が発掘調査を阻止しており出土品や墓内部構造が不明で造られた年代もハッキリしたことは分かっていません。以前よりずっと4世紀に造られただろうと言われて来たようですが、邪馬台国畿内説の不良学者らは古墳を古く見せようと周囲の溝から出た土器の欠片や桃の種を古く推定するなど必死で小細工し、現在は3世紀初頭などと言っている。
畿内説派と日本古代史はオセロの角を取られて大どんでん返しを食らうような事になるだろうが、画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう) はそのオセロの角の一つになりうるだろう。

箸墓古墳より古いと言われる古墳にホケノ山古墳があります。これは学術調査がされております。石囲い木槨(もっかく)という構造で舟形木棺?を囲っている。『魏書』によれば「卑弥呼の墓は槨がない」ので、おそらく卑弥呼の時代より新しいだろう。
ホケノ山古墳のルーツと言われている墓の一つに徳島県の萩原2号墳1号墳があります。ホケノ山古墳も萩原1号も画文帯神獣鏡を出土している。

画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)は中国製の銅鏡で、三角縁神獣鏡に似たごちゃごちゃしたデザインであり、呉系・中国南部で作られたものといわれます。長江周辺で出土する。日本では主に関西から出土。熊本の江田舟山古墳など5世紀以降の古墳からも出る。
三角縁神獣鏡は中国や朝鮮から出土しないので国産だ!( ・`д・´)。

画文帯神獣鏡は280年頃の中国では南部・長江流域の墓から出土する。卑弥呼が亡くなったのは248年と言われるのでそれより遅いわけです。三國時代の後の西晋時代。日本に伝わり副葬されるのは少なくともそれと同時期か、それ以降ということです。

萩原2号1号が既に西晋の時代で、萩原2号をルーツとするホケノ山古墳は更に時代が新しく、箸墓古墳はその更に新しい時代に造られたのであり、元来言われて来たように箸墓が4世紀以降だとするのが妥当なのではないか。

西晋時代の中国北部・黄河流域の墓(洛陽晋墓)から出土する銅鏡は位至三公鏡(いしさんこうきょう)や蝙蝠鈕座内行花紋鏡(こうもりちゅうざ・ないこうかもんきょう)というものだそうで、日本では福岡県や佐賀県から出土する。関西では大阪で数枚、奈良からは出土しません。
従って、西晋時代の日本の外交の中心も相変わらず北部九州という。

日本国内における舶載銅鏡の出土分布から、少なくとも漢・三国・西晋時代の倭国(の都・邪馬台国)の場所は北部九州であり、関西で古墳が盛んに造られるようになるのは4世紀以降と。
纏向は邪馬台国ではありえず、箸墓古墳卑弥呼の墓とは考え難いと言わざるを得ない。

あとはよろしく頼みます。m( )m



【参考】
第290回活動記録



追記
奈良県橿原考古学研究所の坂靖氏が23年2月に急性虚血性心疾患で亡くなっていたことを今知った。61歳、若すぎる。ワクだろうか。ご冥福をお祈り致します。



追記
福岡県久留米市高良山のふもとに卑弥呼の墓説のある祇園山古墳からも画文帯神獣鏡が出土しているとか。方形の古墳で竪穴に石棺を直に埋める形式。盗掘済みで副葬他は無し。その周囲には66基以上の甕棺墓や石棺墓が埋まっている。画文帯神獣鏡がどの墓から出ているのかは不明。(どなたかのブログによると甕棺墓かららしい。)