chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県久留米市高良山の『高樹神社』

福岡県久留米市御井高良山の麓にある高樹神社は、筑後国一の宮 高良大社 の創建に係わる重要な神社です。

場所

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高良大社の一の鳥居(石造大鳥居)から高良大社の方へ登って500m。徒歩8分。祇園山古墳から移動しました。



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ちょっとした駐車スペースがある。



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祭神と由緒の案内板。高良大社の創建に係わることが書かれてある。



近づいて激写



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御祭神

高皇産霊神(たかみむすひのかみ)。通称、高木神・高木大神など。

記紀』の中に出てくる所謂「造化三神」の一つで、アメノミナカヌシの次に出てきます。
神武天皇の東征のときに八咫烏(ヤタガラス)や高倉下を遣わしていたのが高木神。司令塔です。

皇室が祖神として祀るのは天照大神ではなく、高皇産霊神(高木神)だと溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波新書にあった。

参考(にならないが)
溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波新書 - chayarokurokuroの雑記ブログ

マンガ・アニメ『鬼滅の刃』でもカラスが伝令してきます。高良玉垂命の神使もカラスとされている。

御由緒

高良大社の創建に係わる重要なことが書いてあります。
上の案内板の写真を書き出す。

祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)(造化三神の一)。古くは高牟礼権現(たかむれごんげん)と称し、高良山の地主神と伝えられる。

この神社はいわゆる国史現在社(こくしげんざいしゃ)(正史=六国史(りっこくし)に名の現れる神社)で、「三代実録」元慶2年(878)11月13日の条に「筑後国高樹神に従五位上を授く」とあり、やがて正五位下に進んだことが天慶7年(943)の「筑後国神名帳」によって知られる。

もと地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神が神籠石を築いて結界(区画を定め出入りを禁ずること)の地としたため山上に戻れず、ここに鎮座するに至ったという伝説が、高良大社の古縁起に見えている。

高良山の別名を「高牟礼山」(たかむれやま)と称するのもこの神の名に因むものである。

明治6年(1873)3月14日郷社に列し、大正11年(1922)11月24日神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定された。
例祭日 12月13日



非常に重要なことがかいてある。

  • 高木神は高良山の地主神として山上に鎮座していた。
  • 高良玉垂命に一夜の宿を貸したら結界を張られ、山上に戻れなくなった。
  • 結界とは神籠石のこと。
  • 「高良」や「高牟礼(たかむれ)」の名前は高木神にちなむ。



  1. 高良山の神は高木神から高良玉垂命に変わっている。
  2. 変わるときに神籠石が作られている。



「神籠石(こうごいし)」は『記紀』には登場しませんので、いつ作られたのかハッキリ分かりません。
歴史学者らは白村江の戦い(662年か663年)の後に防衛の為、百済の技術者らを使って作られた朝鮮式山城と同時期だと主張している。こちらは『記紀』に幾つか記載がある。

しかし、朝鮮式山城は自然の石を積み上げた野面積み式の工法であるのに対し、神籠石系山城は石をキレイに整えた切石を使っている。工法が異なる。防衛の突貫工事で丁寧に石を切ってる暇があっただろうか。工法を変える理由は何か?

さらに、高良玉垂命高良山乗っ取り事件は西暦400年頃の話と考えられるが、由緒にあるように、その際に神籠石で結界を張ったと言っている。白村江の200年以上前に作られていることになる。朝鮮式山城と神籠石系山城は時代が違うから工法が違うのだろう。と思うが。



高良山の地主神が高皇産霊神(高木神)だったという。本家本元が高良山だったかどうかまでは分からない。高木や高来、高城などの地名や神社は長崎島原や糸島、佐賀、遠賀川筑後川流域にもある。

少なくとも関西とかではない。神武天皇より前の時代だし、『新唐書』の記述にあるように「ウガヤフキアエズまで32世は筑紫城にいた」と大和朝廷自体が報告してしまっている。



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神殿前庭の狛犬としては筑後地方最古で、享保9年(1724)に奉納されたもの。久留米市指定民俗文化財

狛犬を社殿の前に置く文化というのは、そんなに古くはないようね。



高樹神社は以上です。だいぶ日も落ちて暗い。最後に二の鳥居を見て帰る。



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高樹神社から高良大社方面へ歩いて1分。高良大社二の鳥居



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黒いカラスならぬ、黒い猫が目を光らせていた。