福岡県糸島市三雲の弥生中期の国指定史跡『三雲南小路遺跡』に行って来ました。
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの姉妹が祀られた『細石神社』のすぐ裏です。歩いて1分。
駐車場も何もありません。空き地に遺跡の説明板が立っているのみ。
奥の林の向こうは道路を一つ挟んで細石神社。
伊都国の中心に位置したと考えられている。
『三雲・井原遺跡』の一部として史跡に指定。かたまって在ります。
西に3キロ行くと『平原遺跡』がある。
どういう遺跡か?
三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき) - 糸島市
三雲南小路遺跡 - Wikipedia
副葬品の豪華さでこの三雲南小路遺跡と並ぶものは日本では福岡県春日市の須玖岡本遺跡しかない為、このツートップは他の地域を圧倒する強大な権力を有していたと考えられているとのこと。
上の写真の説明には弥生中期の伊都国王のお墓だとする(糸島市教育委員会)。
江戸時代の1822年に三芳さんが住宅の土塀を築こうと畠の土を取ろうとして偶然見つかる。
1975年に福岡県教育委員会が発掘調査を行い、2号甕棺が発掘された。これまでに甕棺が合計で2基発掘。
西の平原遺跡は木棺でしたので、甕棺は時代がさかのぼるということですかね。
「方形周溝墓で、甕棺を2器を添える様にして設置した墓」である、とされる。
甕棺の形式は「立岩式古段階(弥生時代中期中頃)」の形状をもつ。
西側の周溝に祭祀跡とみられる痕跡があり、東側の高祖山系の山並みとの関連性がうかがえる。これは後の時代の平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)に通じるものであろう
福岡県春日市の須玖岡本遺跡の甕棺墓と同一構造を呈している可能性が最新の研究で指摘されているという。
副葬品の内容から、1号甕棺が男性の王、2号甕棺はその妻のものだと考えられる(糸島市)、と。
副葬品
【1号甕棺】甕棺外部
- 銅剣 1
- 銅戈 1
- 朱入小壺 1
【1号甕棺】甕棺内部
※銅鏡は27.3センチメートルから16.0センチメートルの物で『連弧文銘帯鏡』が 26面以上と大半を占める。
【2号甕棺】
- 銅鏡(前漢鏡) 22面以上
- ガラス垂飾(瑠璃璧の破片の再利用品?) 1
- 勾玉 13個(硬玉製 1、ガラス製 12)
※銅鏡は11.4センチメートルから6.0センチメートルの小型鏡で、『連弧文「日光」銘鏡』が 16面以上と大半を占める。
以上、Wikipedia。
糸島市公式サイトによると
2号甕棺
高さ120センチメートル、胴の直径が90センチメートルの巨大な甕棺二つを口を合わせて埋めたもの。
これも盗掘されていましたが、副葬品として
銅鏡22面以上、
碧玉製の勾玉1個、
ガラス製の勾玉 個、ガラス製の管玉、
ガラス製の垂飾1個
などが出土しています。
また、1号甕棺の破片や副葬品の銅鏡の破片多数、ガラス製の璧も出土しており、新たに金銅製の四葉座飾金具が出土しています。銅鏡はすべて中国製。
発見当時の様子を記録した『柳園古器略考』(青柳種信著)には、甕棺の大きさは「深三尺餘、腹經二尺許」であり、高さが90センチメートル以上、胴の直径が60センチメートルほどもある巨大なもので、その巨大な甕棺が二つ、口を合わせて埋められていた(1号甕棺)と書かれています。
中からは
銅鏡35枚、
銅鉾2本、
勾玉1個、
管玉1個、
璧1枚
が出土しています。これらの出土品は現在ほとんど残されていませんが、わずかに銅鏡1面と銅剣1本が博多の聖福寺に伝えられおり、国の重要文化財に指定されています。
以下、三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき) - 糸島市よりリンク。
【1号甕棺副葬品】
銅鏡(重要文化財)
こちらは割れてませんね。平原遺跡の鏡は全て割れていたとありましたが。
銅剣(重要文化財)