chayarokurokuroの雑記ブログ

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「八天神社」佐賀県嬉野市塩田町

佐賀県嬉野市塩田町大字谷所乙766にあります八天(はってん)神社(またの名を八天狗社)へ行って来ました。

場所

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今回行ったのは3つあるうちの左下、嬉野と鹿島の中間。
ピンが立っていないが唐津にもある。

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この地図にある「丹生神社」「吉浦神社」「味島神社」は以前に投稿した所


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八天神社のまたの名の八天狗社。嬉野のこの辺りには昔天狗がいたんでしょうかね。肥前夢街道という忍者のテーマパークもあったりします。

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広々とした駐車場


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良い感じ。正面が神社。その奥の山は唐泉山。頂上にここ八天神社の上宮があるそうです。

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落ちている石ころ。赤い。嬉野は水銀朱鉱床群がある地域。もしや辰砂?


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鹿島川。途中で黒川に合流し肥前鹿島で有明海に注ぐ

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石橋は佐賀県重要文化財


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変わった形の鳥居
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鳥居の左右に狛犬
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手水舎



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立派な拝殿。さっぱりした構えでカッコいい


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社務所。鳥居の左手



由緒

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由緒

  • 祭神

    • 火之迦具突智大神(ひのかぐつちのおおかみ)
    • 建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
    • 火神の御神系の神神
  • 由緒

肥前の国の中心なる藤津の里、肥前小富士と稱る(たたえる)唐泉山(410メートル)は、太古の火ノ山、噴火山であり、その山型誠に麗しく神霊鎮まります御山として、山頂に社を営み、神霊の御加護を奉謝し奉った飛鳥時代の中期、白雉四年(西暦653年)を以って、仮に御鎮座の年と定められました。
鎌倉時代の初期、貞応元年(西暦1222年)山城の国(京都)山崎の産、田村良実は小城晴気に下向し、唐泉山の社を中興し、新たに此の地へ下宮を奉斎して唐泉権現・八天狗社として上宮(唐泉山の山頂)下宮の社務を司り、以来その子孫が本光坊と称して、上宮・下宮の宮司として御奉仕を致しております。
 鎌倉時代より江戸時代、後藤氏・千葉氏・松浦氏を始め肥前国一円の国主・領主・諸氏藩侯・鍋島家に至る迄、諸氏を挙げ、火の神八天狗社を尊崇し、社費の支弁をなされ、又各家より寄進されし広大な神領地を保有し、肥前国一円の人々に火の神様、火防の神様として崇敬され、それぞれの里ごとに火の神様・八天狗神の御分霊石祠及び社がまつられて、火の神様への奉謝のまつりが行われてきました。
江戸時代の前期頃より佐嘉鍋島各家の御屋鋪を始め江戸藩邸へ御分霊社の奉斎がなされて以来、江戸町民の人々に毎月一日・十五日と藩邸内の社へ参拝を許し、火災鎮除・国家安泰・火の用心・家内安全の祈念がなされ、町内会毎に火の神まつり講社の結成が画られて、佐嘉鍋島各家の御屋鋪周辺町内の火災事故が非常に少なくなり、この事柄が江戸中に広まり、江戸中期頃より後記にかけ、幕府老中を始め、諸国大名旗本等各家も鍋島家を通じて、肥前の火の神・火防の神八天狗神の御分霊、御勧請がなされ、火の神の御護符数千部を藩役所、及び、商人を介して毎月江戸へ送達されておりました。
明治維新・昭和の大戦と社運も大きな変革がありましたが、定まった氏子区域の無い崇敬神社として、旧肥前国一円(佐賀県長崎県)及び福岡県西南部地域の皆様方の御崇敬を賜り、各地に於いて、八天講、火の神まつりが行われ、火の神様火防の神様八天神社として、今日に至っております。



唐泉山(とうせんざん)はその美しい形から肥前小富士や藤津富士と呼ばれ、神霊鎮まります御山として山頂に社を建てた西暦653年をもって八天神社の始まりとすると。時代が遅い気がするね。白村江の10年前。
1222年に京都の山崎から田村良実なる者が小城に、そして子孫が本光坊と称しここの八天狗社の上宮と下宮の宮司家を務めてきた。

カグツチイザナギイザナミ夫婦から産まれた火の子で、その火が原因でイザナミが死に、ブチギレしたイザナギカグツチを叩き斬る。金属器の入っている時代。しかし嬉野の活火山だった時代ってそれよりずっと前だろう。
スサノオが祀られている理由は、火の使い方を教えた神だからだと。火とセット。

天狗や修験者や山師は鉱山技術者でもあった。山勘で山に入って鉱脈を見つけて一山当てる。嬉野の水銀鉱脈にこのような神社があることは、まことに相応しいと思う。忍者村があるのも。
鉱石が取れなくなると火の神や水の神(ミズハノメ)が変わって祀られるとか。



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花菱紋?木瓜紋


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八天狗や天狗とヤタガラスは何か関係があるらしく、こちらの神社はヤタガラスのルーツ?という不確かなネット情報に期待を寄せつつ見て回った。特にその様な物は見当たらなかったが、地域的な特徴と神社の立っている意味を考えると、意義のある所だと思った。鳥居の形の由来だとかを知ればもうちょっと深く探れるかも。